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東京地方裁判所 昭和21年(ハ)383号 決定

東京都中野区江古田一丁目百八〇

原告(第三八三号)

山木俊助

右親権者母

山木節

同所

被告(第四七八号)

山木貞夫

同所

被告(第四七八号)

山木芳久

同所

被告(第四七八号)

山木 の

以上四名代理人弁護士

武田熈

同所

被告(第三八三号)原告(第四七八号)}

野村秀三郎

右代理人弁護士

鈴木喜三郎

右当事者間の室屋明渡並に占有回収請求事件に付いては職権を以て各別に調停に付し当裁判所自ら処理することとし調停委員会を開き調停に努めたが、昭和二十三年二月二十三日遂に調停不調に終つた。そこで当裁判所は調停委員原田繁蔵及び同田仲忠左衛門の意見を聴いた上、調停に代るべき裁判を為すのを相当と認め、右両件を併合し次の通り決定する。

主文

(一)  山木俊助は野村秀三郎に対し予て賃貸中に係る東京都中野区江古田一丁目百八〇所在木造瓦葺平家建住宅一棟建坪三十三坪五合五勺(実測三十四坪九合二勺)に関し嘗て為した解約申入を撤回し、山木貞夫、山木芳久、山木 のは野村秀三郎に対し昭和二十三年五月三十一日限り其の占有中に係る右家屋内南側八畳及び北側四畳半の二室並に其の附属部分を明渡し、野村秀三郎は右家屋内北側六畳室並に其の附属部分については既に同人等から明渡を受けていることを確認すること。

(二)  野村秀三郎は山木俊助に対し右家屋全部に関する賃貸借契約が昭和二十三年五月三十一日限り解除せられることに合意し、其の内南側八畳及び北側四畳半の二室並に其の附属部分の外北側六畳室並に其の附属部分に付いては、前項山木貞夫外二名から明渡を受けると同時に、又其の余の部分に付いては昭和二十三年十二月三十一日迄明渡猶予を受け、同日限り夫々其の明渡を為すこと。

(三)  野村秀三郎は前項の一部明渡後山木俊助自身及び其の直系親族は勿論姉妹其の他親族縁者を伴ひ其の跡に居住することに異議を留めぬこと。

(四)  山木俊助は野村秀三郎が其の子能雄をして右家屋内明渡猶予を受けている部分に於いて歯科医業を営ましめることに異議を留めず、其の業の妨害となるやうな行為を為さぬやう慎むこと。但し野村秀三郎は右家屋から退去明渡を為すに当つては責任を以て能雄を伴い、改造した部分に付いては之を原状に回復し、万一回復しないときは其の部分に付いては権利を抛棄し、山木俊助の自由処分に委すること。其の場合でも山木俊助から野村秀三郎に対し賠償請求を為し得べきこと。

(五)  前記各項の趣旨に従ひ、野村秀三郎及び山木俊助が共同して右家屋内に居住する限り、玄関其の他入口、炊事場、湯殿、便所、物置、井戸、其の他、水道、瓦斯、電気等諸設備は各其の用法に従い、双方共同使用することを承認し、互に他の使用を妨害せぬこととし、汲取其の他、水道、瓦斯、電気の使用に因り生ずる費用は各別に計量器の設備をせぬ限り、原則として之を三分し、其の一を野村秀三郎、其の二を山木俊助の負担とすること。但し電熱器及び電力に因る歯科治療用機械を使用する場合は互に他の承認を求め、之が為めに特に生ずる費用に付いては、当事者間に於いて別に其の負担方法を協定すること。

(六)  野村秀三郎は山木俊助に対し昭和二十一年四月一日から昭和二十二年八月三十一日迄の間は右賃料として一ケ月金四拾弐円宛、昭和二十二年九月一日から北側六畳室並に其の附属部分明渡済に至る迄の間は同様一ケ月金百五円宛の割合に依る金員を昭和二十三年五月三十一日限り一括して支払を為し、又北側六畳室並に其の附属部分明渡後残余全部の明渡を終る迄の間は賃料相当損害金として一ケ月金七拾五円宛毎月末日限り順次支払を為すこと、但し野村秀三郎が第二項に定めた猶予期日に先立ち月の中途で明渡を履行した場合は其の月分に付いては明渡と同時に其の支払を為すこと。

(七)  野村秀三郎は山木貞夫、山木芳久、及山木 のに対し同人等が右家屋内南側八畳、北側四畳半及び同六畳の三室並に其の附属部分を占拠使用したことに因り生じた損害金に付いては其の賠償を求めぬこと。

(八)  山木俊助及び野村秀三郎は右家屋内に共同して居住する限り互に他の住居を尊重し、相侵犯するやうなことのないのは勿論、円満な交際を為すやう努むべきこと。

(九)  本訴訟及び調停に因り生じた費用は総て各支出者の負担とすること。

事実及び理由

昭和二一年(ハ)第三八三号に於ける当事者の主張概要

原告は「被告は原告に対し主文第一項記載の家屋中東側六畳南側六畳同三畳玄関及び台所合計十五坪五合を明渡すべし、訴訟費用は被告の負担とす」との判決を求め、其の原因として右家屋は原告の父山木武俊が昭和三年七月中建築したもので同人の所有であつたが、同人は長崎医科大学事務官を勤めていた関係上、其の母 の弟貞夫、芳久、重雄、吾郎、妹佐 子及び貞夫の妻子が之に居住していた。ところが日支事変発生以来芳久、重雄、吾郎及び貞夫が相次いで応召し、遂に の及びさ 子の二人きりとなり、又空襲も漸く烈しく右の二人は留守を守り難くなつたので、昭和二十年四月二十二日家財を残したまま山形県上の山町に疎開し のが原告の父武俊に代つて、被告に其の跡を賃貸することとし、賃料月額金七拾円、期間満一ケ年と協定し、被告は板橋区江古田二〇九四から之に移転し、爾来之に居住し今日に至つた。然るに武俊は昭和二十年八月九日原子爆弾に因り急死した為め、其の長男である原告が家督相続を為し賃貸人となつた。其の後原告は長崎県下で他人の家に間借し、辛うじて生活していたが、其のままでは将来の生活に差支えるので祖母 の等と一緒になり生活費を縮少して行く方針を立てている中、追て叔父等も復員する見込がついた。そこで のは同年九月中原告の親権者節に代つて被告に対し賃貸借期間満了の上は明渡相成度き旨通告し、予め更新拒絶を表意し重ねて同年十二月中同趣旨の通告を為したところ、被告は之に応じ難い旨回答した。依つて のは同月末頃自ら上京し被告に対し口頭で期限後の明渡を求め野方警察署生活相談係に願い出でたこともあつた。斯くする中貞夫其の他叔父達は相次いで復員して来たので、貞夫が原告の親権者節に代つて被告と交渉を進めた結果、原被告は一時同居することに決し、同年三月二十九日 の、貞夫、芳久、重雄及さ 子は之に従ひ右家屋中南側八畳及び北側四畳半の二室に居住するに至つたところ、被告は貞夫等が不法に侵入したとして敢て住居侵入の告訴をした。其の中同年四月二十二日となり契約期間は満了したが、被告は依然として立退かぬ為め、貞夫は猶原告の親権者節に代つて交渉を続け、同年八月十六日には東京区裁判所執達吏に書面に依る明渡要求の委託を為し、其の書面は同月二十九日被告に返送せられた。而して原告は将来の生活方針を立てる上にも悠々として居られぬ為め、昭和二十三年二月十三日上京し、被告から一部明渡を受けた右家屋内に住居を定め叔父貞夫の扶助を受けているが、其の全家族がここに起居するには余に窮屈なので母節、姉民子、妹孝子は中野区江古田一丁目一八二叔母とし子の夫田島祥二方に分宿し、原告は妹育子及び貞夫一家五名と共に右家屋に宿泊している有様である。右の次第で被告との賃貸借契約は昭和二十一年四月二十二日期間満了に因り終了した故、爾今被告には其の明渡義務のあること明である。

仮に期間の定が認められないにしても原告は昭和二十年九月上旬以来数回に亘り解約の申入を為し、しかも其の申入は前叙の通り正当の事由に基き為されている故爾今法定期間の経過に因り、昭和二十一年十一月末日、遅くも昭和二十二年二月末日迄には賃貸借契約は終了したことにならうし、若し又期間の定は認められても契約が一旦更新せられたものと見られるならば、次年度の昭和二十二年四月二十二日には終了したと解するの外はなからう。依つて原告は被告に対し本家屋の内未だ明渡を受けていない部分の明渡を求める為め本訴請求に及んだと主張し、立証として甲第一号証第二号証の一、二第三及び第四号証を提出し、証人深野長太郎、山木 の、田島とし子の各供述を援用し、乙号証の成立を認めた。

被告は「原告の請求を棄却する」旨の判決を求め、答弁として原告主張の事実中原告主張の家屋がもと原告の父の所有であつたが、其の死亡に因り原告が家督相続を為したこと、原告の父と被告との間に期間の点を除く外原告主張の如き賃貸借契約の成立したこと、原告の父が長崎医科大学事務官を奉職していたこと、山木貞夫等が右家屋中八畳及び四畳半の二室を占有していること、被告に対し原告主張の如き書面通告のあつたこと、被告が山木貞夫等を住居侵入罪として告訴したことは認めるが、賃貸借契約に於ける期間の点及び原告に更新拒絶或は解約申入を為すに付き正当の事由の存するとの点は否認し、其の余は不知抑々賃貸借期間に付いては定がなかつたものである。当時僅一年内に終戦にならうとは何人も予想せぬところで、原告一家が再び上京し、右家屋に居住すること等は毫も考慮に入れず、寧右家屋も早晩空襲に因り滅失するであらうが、其の時迄は引続き賃貸するとの趣旨で契約したもので、昭和二十年五月二十五日の空襲に際しては被告は極力防衛に当り難を免れしめたものである。而して終戦後同年九月には二男能雄を呼寄せ家屋の一部に改造を加へた上、歯科医を開業させ同年十二月からは賃料を月額金百円に改め翌二十一年三月分迄は原告も異議なく之を受領して来た。右の次第で被告には依然賃借居住する権原があり、原告の主張する期間満了は事実に反するし、又解約申入は正当の事由に基くものではない故、何れにしても其の明渡請求は失当であると主張し、立証として乙第一号証を提出し、証人早川安二郎の供述、被告本人訊問の結果を援用し甲号各証の成立を認めた。

昭和二一年(ハ)第四七八号に於ける当事者の主張概要

原告は「被告等は原告に対し主文第一項記載の建物中南側八畳北側四畳半、北側六畳室及び其の附属の床の間押入縁側並に釜場、物置、湯殿の外玄関土間の中一坪を明渡すべし」との判決並に仮執行の宣言を求め、其の原因として原告は昭和二十年四月二十二日山木俊助先代武俊から右家屋全部を賃料月額金七拾円毎月末日払と定めて賃借したが、当時戦災に遭い焼失することは一般に覚悟していたこととて其の期間に付いては建物の存続中と云うことに取極めた。依つて原告は昭和二十年九月中二男能雄を呼寄せ歯科医を開業させたが、同年十二月分からは賃料を月額金百円に増額し翌二十一年三月分迄は原告から山木俊助に対し其の支払を続けて来た。然るに被告等は不法にも同月二十八日前記八畳四畳半室及び其の附属部分並に釜場物置湯殿に侵入し之に居住を初め、次で同年十月二十七日北側六畳室及び其の附属部分並に玄関土間一坪内にも侵入し来つた。其れ故原告は占有権者として其の占有の回収を求める為め本訴請求に及んだと主張し、立証として甲第一乃至第三号証を提出し証人野村はまの供述を援用した。

被告等は「原告の請求を棄却する」旨の判決を求め、答弁として山木俊助先代武俊と原告との間に期間の点を除く外原告主張の如き賃貸借契約の成立したこと、原告の子能雄が右家屋内で歯科医を開業していること、山木俊助が昭和二十年十二月から翌二十一年三月迄一ケ月金百円宛受領していたこと、被告等が原告主張の如く右家屋の一部を占拠し居住中のことは認めるが、其の余は否認する。右家屋は武俊の母が武俊に代つて被告に賃貸したもので、当時期間は一年と約定したところ、山木俊助に於いて自ら使用する必要を生じた為め、昭和二十年九月上旬被告に対し、明渡を請求し、予め更新拒絶を表意したので賃貸借契約は昭和二十一年三月末日限り終了し、却つて原告には爾後之に居住する権原はない。しかも契約全部の終了に先立ち、昭和二十一年三月二十八日被告等は原告と協定し、原告は南側六畳東側六畳の二室を被告等は南側八畳北側四畳半及び北側六畳の三室を夫々専用し、他は共用することに取極め、其の翌日被告等は之に移転した次第である。しかも右四畳半室には予て賃貸当時から被告等の家財が遺留してあり、賃貸の目的とはしてなかつたのであつた。右の如く北側六畳室は三月二十九日から被告等が使用して居り、十月二十七日になつて使用を初めたのではなく、最初は只家財置場としていたのを十月二十七日から居室とした迄のことで、何れも被告等が原告の占有を侵奪した訳ではない。猶賃料改訂もしたことはない。約定額以上の金参拾円は原告から山木俊助に対し進呈金として贈られたものに過ぎないと主張し、証人芳川巖の供述被告本人山木貞夫の訊問の結果を援用し、甲号各証の成立を認めた。

然しながら以上両件共審理の中途に於いて調停に付した為め、十分に証拠調を尽くしていない恨はないでもなからうが、事案の性質及び社会情勢に鑑みるときは、寧審理を継続し日時と費用とをかけるよりは、調停に代るべき裁判を試み、一挙に解決する方が当事者双方の利益を衡平に考慮する所以だと考へられるので、主文の通り決定することにしたのである。従つて正確な事実を論断し之に基き結論を得たわけではないこと云う迄もないけれども、主文記載の各条項を案出した根拠に付いては概略ながら説明を加へて置きたいと思う。

(一)及び(二) 賃貸借契約が終了したか、しないか、終了したとすれば何時かと云うことが本件に於ける基本の争点である。ところで其の期間が一年の約定であつたとの山木俊助等の主張は、之に照応する証拠もないでもないけれども正確ではなく到底認め難い。従つて更新拒絶と云うことは意味を成さぬ。解約申入が口頭或は書面を以て屡々行はれていることは疑もないが、之に正当性を伴つているか否かはたしかに大きな問題であらう。山木武俊或は同貞夫等の公務不在中留守を守るべき婦人達が留守を守り得ず所有者に代つて賃貸したもので、固より婦人達に代理権原の存することは争はれていないものの、留守にしている男子達の真意をたしかめ得ずになされたことであり、男子達が帰京した場合は賃貸借を継続し得るか否かと云う点に付いては疑を容れる余地のあることを野村秀三郎に於いても予め覚悟して居らねばならぬ状況であつたこと当主山木俊助は大戦の結果父を失い、幼手ではあり亡父の任地先に滞留することは無意味でもあり、生活上にも困難を増すばかりな為め、母及び姉妹と共に最近上京したものの一家族揃つて一ケ所に団欒し得ずに居ること、其の家族は比較的多数で全員揃つて生活する為めには相当面積を有する家屋を必要とするところ、山木俊助は本家屋以外には不動産を所有せず、又新に住居を新築するが如き資力を有するとも思はれぬこと。しかも本家屋は嘗ては山木武俊自ら居住していたもので、其の子俊助が他に住居を得ず之に立帰らうとするのは人情上からも無理とは云へない事情に在ること、野村秀三郎は昭和二十年四月から本家屋に居住したもので、本家屋との馴染もさまで深くはなく、子能雄が歯科医を開業中とは云へ、極めて小人数故、移転も一般に比し稍々容易であらうこと、しかも其の歯科医業も山木俊助側から明渡要求を受けるに至つた後初められたこと等を比照斟酌して考慮すれば、山木俊助が自己使用を理由として野村秀三郎に対し明渡を求めるのも止むを得ぬ次第と云へないこともあるまい。従つて解約申入の効果は之を認めてもよい筋合と考えられるが、何時契約が終了したかはさまで重大な意義を持たぬと思はれるので敢て双方に互譲を強い、契約は日限をきつて合意上解除せられることとし、野村秀三郎が兎に角戦時中本家屋を守り通した点、子能雄が小規模にもせよ歯科医業を営んでいる点、紛争以来相当の日子を費しているとは云へ借家払底の今日急速に新住居を得ることも甚だ困難な点等に鑑み一部宛の明渡を為さしめ、退去迄には六ケ月以上の猶予を与へることにした。現住者の居住権を無視するわけでは更々ないが、所有者が保護せられる結果、反射的に現住者に不利の及ぶのは是非もない。山木貞夫外二名に対し一応占拠部分の明渡を命じたのは本契約の解除を合意に基礎を置き、しかも其の時期を将来に懸けた関係上稍々形式的ながら斯様な処置に出でた迄のことで、其の占有が不法か否かには、陽には触れていないつもりである。同人等に一応明渡せとは云つても山木俊助一家の一員として同人が承諾する限り本家屋に再び居住することは自由であらうし、之を止めることは法律上から云つても無理であらう。猶北側六畳室に付いては双方の申立とは相違した定をしているが、本件に現はれた証拠に基いて処理した迄である。

(三)及(四) 贅文ながら(八)と共に、之に依り双方の間柄が直に円満に復すると迄は期待しないにしても、少しもよかれと思うまま或は小事に亘り或は大局より見て敢て加へたわけである。双方共互に隣人の恩も顧みて貰いたい。

(五)(六)及び(七) 双方共直接には此の問題に触れて居らず、調停の目的外の事項ではないかとの疑もあらうが、円満でない双方の間に任意協定の遂げられやう道理はないし、訴訟としては兎に角調停としては賃貸借契約の存続或は消滅と云う概括的目的の中に結局は包摂せられるものと見て斯様な定をした、賃料或は相当損害金の額の決定に付いては固より地代家賃統制令及び之に基く物価庁告示に依り、主として占拠面積を標準として計算し、端数は適宜処理した。其の免除及び移転料の支給に付いても一応は考慮しないではなかつたが、双方の資力境遇に鑑み結局は除外した。費用負担に付いては主として双方の人数及び占拠面積を斟酌して原則のみを定め特別の場合は定める方法がないので、むづかしいとは知りつつ双方の協定に任せた。猶此の条項は(六)の条項と対比すれば全くの便宜的取扱に出でたに過ぎぬこと明白であらう。抑々(一)の条項が前叙の通り便宜本位の定である以上当然の結果と云へるかも知れぬ。

(九) 当然のことながら念の為め附加したのみ

(昭和二三年四月二八日東京地方裁判所)

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